田中健太郎という男
ライバルも舌を巻くようなうまい焼酎をつくるけど、商売下手。
それが、僕のゑびす酒造の5代目、田中健太郎に抱くイメージだ。
彼と初めて出会ったのは2016年の夏。
本格焼酎を紹介するメディア「九州焼酎島」の取材だった。
第一印象は、真面目で口数の少ない素朴な四十路男。
ただ、焼酎づくりに話が及ぶと、急に熱く語りだす姿が今も脳裏に残る。
僕は田中健太郎という男に「熟成」という蒸留酒の魅力を教えてもらった。
飲食で感動する体験はめったにないが、「らんびき」を初めて口に含んだ時の心の震えは忘れられない。
樫樽で5年も10年も眠りについた麦焼酎の、バニラのような甘い香り。
すばらしい芳香が鼻を抜けた瞬間、背筋がゾクッとしたことを、昨日のことのように覚えている。
実は、僕は福岡出身でありながら、田中健太郎と会うまで「らんびき」を知らなかった。
同時に、こんなすごい樫樽熟成麦焼酎が、世の中に広く知れ渡っていない事実に驚いた。
樫樽貯蔵の麦焼酎は、全国的に人気である。
それなのに何で「らんびき」は、そんなに有名じゃないんだろう?
そんな疑問を抱くのは僕だけじゃなかったみたいで、ライバルの酒造メーカー社長ですら「うまいし、マーケティングに力を入れれば大化けするよ」と絶賛していたくらいだ。
もちろん、「らんびき」がたくさん売れればいいに決まっている。
一方で、売れすぎても困ることを、田中健太郎は知っている。
ゑびす酒造の焼酎は、長期熟成をモットーにしているから、今蒸留しても、商品になるのは何年も先だ。
樽の貯蔵スペースにも限りがあるから、必然的に大量生産はできない。
常に、蔵出しできる量に限りがある。
「すべて売れたとしても、たいして儲からない商売ですね」
そう正直に伝えると、田中健太郎は苦笑いするだけである。
「そんなことはわかってるよ」と言いたげな表情で。
田中健太郎という男を見ていると、彼自身が樽熟成焼酎に最も魅せられているんだろうなあ、と感じる。
「らんびき」は商品である前に、彼自慢の「作品」なのかもしれない。
やっぱり彼は商売人ではなく、職人だ。
だから、僕は、田中健太郎のつくる焼酎を信用している。(敬称略)