麦焼酎の歴史
焼酎が日本に伝わったのは、今からおよそ500年以上も前になります。そこから麦焼酎がどのようにして誕生したのか、その歴史を紐解きお伝えします。
焼酎の伝来
焼酎が日本に伝わったのは、今からおよそ500年以上も前になります。由来としていくつか説がありますが、タイから琉球(沖縄)に伝わった説、朝鮮の蒸留酒(高麗酒)が壱岐・対馬に伝わった説、また倭寇(海賊)によって中国南部から伝わった説などが有力とされています。
現存する最古の「焼酎」の記述は1559年(永禄2年)とされています。鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社が補修された際、大工が残した落書き「焼酎も振る舞ってくれないけちな施主」というものが最古の記述です。
麦焼酎の誕生
麦焼酎の誕生は16世紀ごろ、場所は長崎県壱岐島で生産が始まりました。昔は税金の代わりに米や小麦を年貢として納めていました。そのため、農民は米は年貢用、小麦は常食用、大豆や菜種は換金用として生活していたのです。
麦焼酎が生まれたのは、当時は大麦が年貢から除外されており、主食としても余剰が生じた結果、焼酎の原料として用いられるようになったのが由来だと言われています。また、この頃から原料だけでなく、麹の生産にも大麦が使用されていました。
麦焼酎の原料の移り変わり
本格麦焼酎の歴史は比較的新しく、その製造技術の多くは泡盛や粕取り焼酎、甘藷焼酎、米製焼酎などの技術と同じです。しかしその原料や麹は、時代を経て少しずつ移り変わっています。16世紀の誕生当初、麦焼酎は麦の麹に麦を掛けたもので作られていました。そこから長い間同じ製法が続いていましたが、明治時代に清酒製造技術が発展し、また米の使用に余裕ができてきたことから、麹に米が使われ始めます。
昭和16年には、壱岐にて当時の税務署長が黒麹の導入が試み、その結果が良かったことから翌17年以降から焼酎専業者全てが黒麹菌による仕込法に転換したという記録が残っています。このとき、直釜蒸留を蒸気吹き込式に改める大改革も同時に行われています。昭和30年ごろからは壱岐でも白麹菌が使用されるようになり、現在に至っています。
壱岐麦焼酎は1995年にWTO(世界貿易機関)から地理的表示の産地指定を受け、「壱岐焼酎」を「原料配分として大麦3分の2、米麹3分の1」と定義されました。二階堂で有名な「大分麦焼酎」も、2007年に「麦麹を使用した麦100%の本格焼酎」として大分県酒造協同組合所有の商標登録がされています。なお、ゑびす酒造の代表銘柄であるらんびきは、米麹で仕込んだ麦焼酎になります。らんびきの他、古久や古酒ゑびす蔵、粼ゑびす蔵なども米麹ですが、けいこうとなるもは麦麹、芳云ゑびす蔵は麦麹だけの3段仕込みというように、仕込み方によって麦焼酎の個性、美味さも様々です。